裏表のある日本人の見分け方は人それぞれ

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昨晩久し振りに、前の学期のクラスメイトと先生と集まって食事をしました。クラスメイトだった日本人の方々ともお会いし、日本語で話せる事にささやかな喜びを感じました。妻が一時帰国中、学校へは行かず会社へ行っているので、今は日本語を話す機会が全く無いのです。埔里の友人 I 氏の苦悩を思い出しました。
 
さて昨晩の我々、永康街の熱炒店でご飯を食べた後、甘い物を食べに行っておしゃべり。その席で先生が、聞いてきました。

「日本人の中には、時々表面的には凄く良い感じに接しているのに、内面の悪い人が居て、普段全くその素振りを見せないのに、期末の評価の際 (※師大の国語教学中心には、期末に生徒が先生を評価する制度がある) 全部に 1 を付けたりする。師大の先生は、少なくとも一度はそういう日本人にあたった事があるのだけれど、あなた達日本人は、そういう人の見分けはつくの?」

うーん、全てとは言えませんが、大抵の場合は、少し付き合えば見分けつきますよね。

「どうすると見分けがつくのかしら?」

それは…、方法は人それぞれでしょう。こういう事は空気の読み方と同じで、日本人は日本人社会の中で幼ない頃から揉まれていく事で、自分なりの方法を会得していくと思います。

仮にですよ、先生が僕の方法で日本人を見分けようとして、相手にバレない様に疑ってにたり、 (そして容易に想像がつく様に) 相手を間違って見立ててしまった時に上手に誤魔化したり、と彼女は日本人と同じ様には振舞えないと思うのです。そう、日本人はこういった面も併せて会得しているわけです。

誤解した先生も不幸だし、誤解された日本人も不幸、だから、単純に見分け方だけを先生に教えるわけには行かない。そんなわけで、先生には「不敢說 (それは (怖くて) 言えない) 」と答えてしまいました。先生は「何故?」と納得してない様子でしたが、僕もその理由を誤解無く説明できる程には中国語が達者でないし、仕方のない事です。

いつか、こういう事もきちんと説明できる様な立派な大人になりたいと思います。
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Yusuke Dada K.
Yusuke Dada K.

台湾の現地企業で主に組み込みソフトウエアの研究開発をしている日本人です。我人是個日本人,負責軟體的研究開發。在臺灣的科技公司工作。

2件のコメント

  1. 思うに、日本人は、相手の心を読みすぎ、気にしすぎ、それで、それを期待して、そうでないと、心配りがないと言っては、怒りだす。必要以上に複雑すぎ、結果、裏で苛めがはびこるわけです。世の中が空気とかムードに影響されやすく、皆、自分を見失ってしまう。これはある種の国民的な病気だと思います。
    各個人はいい人なのですが、集団や組織になると、振舞いや態度が変わる。他の国の人々には、この辺りが理解できないのかなと、思ったりします。

  2. 「相手の心を読みすぎ、気にしすぎ」のせいで、責任に対する考え方も相当いい加減になっていると思っています。相手を気にしすぎちゃうので、責任を求めるのも気が引けちゃう、という。それに慣れると、今度は自分も責任を負う事から逃げる様になって、結局お互い「気にしすぎ」る位じゃないとやってられないから、事態は益々酷くなる。そういう環境を死守する為には、出る杭を打っていかねばならない。

    これは、日本人が持つ「極端な」特徴なんだと思うのです。特に良い部分でもあるし、特に悪い部分でもある、という。

    仮に日本の現状を変えるとすれば、個々が責任をもっと意識して行動できる世の中にならないといけませんね。自分も責任を果たすし、相手も責任を果たす、これが前提にならないと駄目でしょう。

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